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長谷部 光泉

TERUMITSU HASEBE

東海大学医学部医学科 専門診断学系 画像診断科 教授
慶應義塾大学医学部 臨床研究推進センター 客員教授
慶應義塾大学理工学部 訪問教授
東海大学医学部付属八王子病院 血管内治療センター センター長
Hasebe Research Group リーダー

MESSAGE

我々のミッションは、医学と工学を融合させ、
最先端技術で医療に革新を起こすことです

近年の医療技術の進歩は著しく、特に脈管病変に対するステント留置術やステントグラフト留置術など、最新の医療機器を用いた治療領域(InterventionalRadiology)は、従来の外科治療に比べて「早い」「低コスト」「低侵襲」な患者にやさしい治療方法としての地位を確立してきました。

最先端技術によって開発された医療機器は、従来では治療しきれなかった病気や症状に対し、新しい治療方法を提案します。こうした医療機器開発には、医師とエンジニアとの緊密なコミュニケーションが欠かせません。我々のチームでは医療従事者と工学研究者、企業が一体となった強固な医工産学連携体制を組むことで、科学的なアプローチをより深め、医療機器開発の世界にイノベーションを起こします。

私が研究者を志した原点
Harvard 大学での Principle Investigator (PI) 経験
1998 年に研修医を終えた私は、米国Harvard大学 Brigham & Women's Hospital の血管造影・IVR部門のKrishna Kandarpa教授の元へと留学することとなった。当時の私はまだまだ若く、研究経験も殆どなく、右も左もわからない状態であった。私の部門には周りに日本人はいなかった。当初は、Kandarpa教授からも完全にお客さん扱いで、多くの事を期待されていなかったと思う。特にテーマも与えられず、「自分で何か考えなさい(放置?)」というような指導方法であった。米国にきてすぐに、どうやら「grant」(公的研究費)がないと、研究はできないし、ポジションも確保されないということが3ヶ月ぐらいでわかってきた。このまま何もしないで来年ぐらい帰国するのか、あるいは、「grant」なるものを取ってみるか?というような漠然とした中でもがいていた。
ボスのKandarpa教授に、どうすればいいのかと、途方にくれて相談すると、「まずは、米国IVR学会やNIHの研究費に応募してみたら?まあ、通る可能性は薄いけど」と言うので、その薄い可能性にかけることにした。その頃の私は、臨床のカンファレンス、IVRの症例に入る以外は、殆どdutyがなかった。私は、当時から「ステント留置後の再狭窄予防」に興味を持っており、それをテーマにしようと自分で勝手に思っていたため、図書館に通ってはそういった文献を読みあさった。
どのくらいの文献を読んだかはわからないほど、毎日、毎日、「論文バック」を持ち歩き、時間さえあれば論文を検索していた。そこで、私は、その膨大な論文検索を元に、「冠動脈ステント留置後再狭窄に対する遺伝子治療」という新しいテーマで研究計画書を書くことにした。勝手なイマジネーションと膨大な文献からのヒントによって。
研究計画書を2週間で完成させ、Kandarpa教授へと提出した。彼は、本当に驚いた様子で、「おまえ、書けるのか?これいいじゃないか。でも...、これお金 かかりすぎるよな?おまえはこれくらい書けるのだから、もっとお金がかからないように書き直せないか?特に遺伝子関係となると厳しいぞ」と言い残して、そのまま3週間期間の学会へと旅だっていってしまった。その後、3日は、悩み抜いた末に、別の実現可能なテーマに書き直しをしたが、3日後には新規性がでないことを感じて、すぐに破り捨ててみた。そうだ、もうやけくそだ、最初の研究計画をさらに推敲し、3週間後に教授に再提出しようと思ったのだった。殆ど、毎日寝ないで3週間を過ごした。帰ってきた教授に、気合いをいれて提出した。教授は驚いた顔をしたが、熱意をわかってくれて、それでは、大型のgrantをとりにいこうといってくれた。私がPrinciple Investigator(P.I.)としてやってもいいというご承諾も得られた。その後、様々な山場があったが、かくしてまずは、約5,000万円程度の研究費が奇跡的に私のところにやってきた。これが私の獲得した研究者人生の最初の公的資金であった。

慶應義塾大学理工学部との研究グループ結成
帰国後、放射線科医として開発する上で、いわゆる「薬」の日進月歩の進歩やいわゆる巨大製薬企業の戦略を上回ることは事実上不可能と考えたため、drug delivery system(DDS)としての生体適合性をもつプラットフォームの開発に興味を持ち始めた。さまざまな先生に自らの構想をディスカッションしていた折、鈴木哲也先生(当時、慶應義塾大学理工学部助教授)が、今後の研究パートナーとしていいのではないと勧められた。面識はなかったが、迷わず鈴木先生の部屋をノックしに行ってみた。当時の記憶を、鈴木教授は、「汚い格好をして、フリーで無謀にもプレゼンしにきたのでびっくりしたが、大変面白いと思ったので、一緒にやることを即決した」とおっしゃってくれている。すぐに大学院生を加えていただき、やる気のある若手学生が次々に研究に参加した。
そういう経緯で、慶應義塾大学理工学部の鈴木哲也研究室と、堀田篤研究室と一緒に作った医療材料班のチームリーダとして研究を指揮しはじめ、自身もフッ素添加無機薄膜の研究において、博士(工学)を取得した。現在、 堀田篤教授は機械工学科の学科長と理工学研究科の専修主任とを兼任されており、鈴木教授は慶應義塾先端科学技術研究センター所長となり産学連携の中心を担ってきた重鎮であり慶應義塾(三田)でも産学連携の中心的なポジションとなり、お二方には現在、尚、御世話になっている。
医学と工学を組み合わせて、
患者さんを笑顔にする医療技術を作る!
我々のチームの最大の特徴は、チャットやweb会議によって、毎日のように臨床医と工学系研究者、エンジニアがシームレスにコミュニケーションをとり、相互に理解を深めながら研究開発を進めている点にあります。一般的には医学系のアプローチは実践から来ることが多く、工学系のアプローチは理論から来る傾向にあります。時には、工学系の研究を、「この段階では現場では使えない」と判断しなければならない場合、私自身が博士(医学)と博士(工学)を有していることもあり、両者の思考の相違やバランスを加味しながら、いかにインテグレーションするかという点を重要視しています。日本でも、これほどまでに医師と研究者、エンジニアがフラットな立ち位置からディスカッションできる環境はないでしょう。我々は、そうして生まれた技術が医療現場に届けて患者さんを笑顔にすることを目標に、日々活動しています。

長谷部光泉研究グループ